灰色キャンバス

革小物、読書、アナログ好きの戯言

『迷路館の殺人』レビューの補足

迷路館の殺人』のレビューでも。と思ったが、書きたいことの多くは、前回の記事で書いてしまったので、今回は補足的なレビューにしたいと思う。

 

綾辻行人作品を読むのは、実は2つ目だったりする。1つ目に読んだのはもちろん、かの有名な『十角館の殺人』だ。
十角館の殺人』にあまりにも感動して満足してしまった。こんな素晴らしい作品にはそうそう出会えないだろう。つまり館シリーズの続きを読んだところで、十角館超えには出会えないだろう。故に読まない。……というよく分からない自己完結型の論法により、十角館を1つ読んだだけで止まってしまった。

 

そして今回、館シリーズの順番など気にせず、タイトルが気になったものを手に取り読んでみることにした。それが『迷路館の殺人』だった。

 

この作品も実に素晴らしかった。騙されて、騙されて、騙されたどんでん返しを食らったと思ったら、更にどんでん返しを食らう始末だ。
衝撃度や叙述トリックという点では十角館のほうが素晴らしい。しかし、迷路館には読んでいる最中の異常なワクワク感があった。十角館が美術館だとするなら、迷路館は遊園地みたいなものだ。面白さの系統が違う。

 

前回の記事と同じく、このままだと迷路館をベタ褒めしてレビュー終了となってしまう。なのでここから先はやや好きになれなかったことを中心に書いてみたい。と言っても、素晴らしい作品だったのでそんなに書くことはないのだけれども。

 

ネタバレをかなり含むので、まだ読んでいない人はご注意願いたい。

 


第1の殺人である首切りの理由、つまり血を隠す理由は、文字通り生理的にあまり好きになれなかった。犯人を女性にしたいがための強引な理由付けにすら感じてしまった。意外性を狙い過ぎてしまったが故に、この部分が疎かになってしまった感が否めない。

 

第4の殺しである密室殺人では、実は秘密の通路がありましたという邪道なもの。ただ、この作品に関しては、本編じゃない本編において殺しの方法などどうでもいい。鹿谷門実作の『迷路館の殺人』の中で、このトリックを読んだときはガッカリしたが、綾辻行人作の『迷路館の殺人』に戻れば、どうでもいいことになる。ワクワクする読み物として読むことをお勧めする。

 

最後に忘れてはならないのが、冒頭での問いかけにある「鹿谷門実は誰か?」 である。これはかなり強引に感じたものの、確かに断言はしていないしなと諦め、そして感服。この「断言はしていない」というのが、この作品を読む上でのポイントとなる。

 

「小説というエンターテインメントを通じて、文字だけで如何に読書を騙し、楽しませるか」
この点において、綾辻行人は最高峰の作家だろう。「紙面の魔術師」とでも言うべきか。

 

現在のエンターテインメントの主流が映像中心になってしまった今こそ、文字によるトリックで楽しませてくれる綾辻行人の作品は偉大である。小説というものを最大限に活かしている。

 

強引さやこじつけ感がやや強いので、好き嫌いが分かれそうな作品ではあるが、読んでいてこれほどワクワクして、「あー! 騙された!」ってなる作品はなかなか無いと思う。純粋にお勧めのミステリーである。